日本美術オークションにて出品されるこの六曲一双の屏風は、『見積を依頼する』というオンライン上のプラットフォームを通して査定希望のご連絡を頂いたお客様より、サザビーズに託されました。屏風は1970年に日本で古美術商から購入され、その古美術商によると、元々は95歳で他界した富山県出身の非常に高名な古美術商の個人コレクションだったそうです。
一年以上にわたって給料より支払いを続けなればならないほど、屏風は高価でした。お客様はこう書かれています。
「私の両親は1967年から1972年の間、東京に住んでいました。製薬会社のジョンソン・アンド・ジョンソンに勤務していた父が、日本に新しく生産拠点を設置する任に就いたので、私達は日本に移り住んだのです。とりわけ日本文化を愛していたのは父ですが、この屏風を購入したのは母でした。私が子供の頃には、エディンバラにあったテラス付きのヴィクトリアンハウスの階段の壁に掛かっており、その後は、母が亡くなる前まで住んでいたサリー州の小さな家の壁に飾ってあったのを覚えています。」
作者名は不明ながら、この屏風は狩野派の絵師によって描かれました。血縁関係を基軸とした画家集団である狩野派は、16世紀から19世紀にわたって日本画の世界に君臨し、ほとんどの画家が狩野派の下で手ほどきを受けました。将軍や高位の武士のために制作された山水画や人物画、花鳥画がよく知られています。
支配階級である武士層は芸術家を庇護しましたが、それは芸術が持つ美的魅力のためだけでなく、芸術が彼らの力とステータスの象徴ともなりうるからでした。そのため、部屋の仕切りや風除けとしての屏風で城を飾り立てたのです。日本全国の統一、平和と繁栄が長く続いた後の17世紀終わり頃には、京都や大阪、江戸に住む商人や廻船問屋など、武士階級以外にも富が行き渡ると同時に芸術も広まりました。そして、狩野派の絵師たちは新たなパトロンに風俗画を描くために枝分かれしていきました。
依頼人の好みや地位を反映して、絵画はより形式的かつ様式的になっていきました。広く使われた技法は、金地の上に墨と絵具で彩色するものです。今回出品される屏風は、上級武士に愛好された馬が描かれている点から、武家のために制作されたと考えられています。似た主題として、放牧されている馬や訓練中の馬が描かれた屏風も知られています。
かつての日本において、厩舎とはただ馬を飼っておく場所ではなく、ショーケース的役割も担っていました。しみ一つない厩舎に繋がれた駿馬は、所有者の力と富を物語っているのです。
この絵師は、品種や毛色が様々に異なる馬が、休んだり、蹄で床を掻いたり、後ろ足で立ち上がっている様子を計12枚の扇にそれぞれ描き上げました。ですが、繰り返される厩舎の床と壁の幾何学的な線と、画面を水平に横切ることで鑑賞者の目を扇から扇へと誘導させるつなぎ縄によって、それぞれの扇同士が調和し、全体の構成に統一感を与えています。ここでの厩舎は、厩舎とは対照的な馬の曲線を見せる形式的な舞台として機能しているのです。絵師が描いたのは、特定の馬を写した肖像画ではなく、むしろパトロンの地位や欲求を表すような理想化された馬の定型のように感じられます。その効果は驚くほど新鮮で現代的であり、この屏風に普遍的な魅力を与えているのでしょう。
マーク・ステファンは、オンライン上での査定を統括するロンドンのバリュエーション部門の副部門長であり、オークション業界では35年間経験を積んでいます。アンティークに限らず、オンラインプラットフォームを通してサザビーズに送られてくる、さほどアンティークではないものや絵画など、バラエティに富んだ幅のある作品を拝見するのは非常に興味深い体験です。私達は、時計、宝飾品、ワイン、様々な時代の絵画、銀器、陶器、更にはどこにもカテゴリー分け出来ないような不思議なものの中から厳選し、アンティーク品の良いもの、悪いものから奇抜なものまで世界の全てを日々扱っております。
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